「スピリチュアルを信じてる人」知性が低い説を考察

2023/12/12

ウェルネスビーイング スピリチュアル

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スピリチュアルを信じている人は頭が悪い、IQが低い、知能が低い、なんて言われることが多々あるのはご存知でしょうか。実際に知能が低い人ほどスピリチュアルにはまりがちという研究結果が出たこともあります。今回はそんなお話しです。


後半で言ってることひっくり返しますのでできれば最後までご覧ください。


科学的じゃない

スピリチュアルな話はどれも科学で証明されていません。証明されていないことを信じることに対して嫌悪感を持つ人は多いです。

加えて、合理的な思考に基づいた証拠のない信念は多くの場合知識や教育のレベルが低いとみなされがちです。
スピリチュアルの説明をする時、説明をする以上は論理的に話すべきです。論理的に話すためには証明されている事象以外は語るべきではないにも関わらず、本当かどうかもわからない話ばかりされては説得力がないですよね。

論理的に話すことはある程度の知識が必要ですが、主観のみでも語れてしまうスピリチュアルの話は、一般的知識をほぼ必要ありません。そして科学で証明されていないどころか、割と科学の正反対の考え方をとることも多いので、それも大きな理由の一つでしょう。


信じ込みやすい

スピリチュアルという証明されていないものを、信じるに留まらず盲信の域に達している人も多くいます。宗教にどっぷりつかってしまう人(宗教と良い付き合い方をしている人ももちろんたくさんいます)もそうですが、そういった人たちは物事を信じ込みやすい傾向があると言えるでしょう。

根拠がないにも関わらず盲信してしまうのって、普通に考えてだいぶ危険ですよね。何度も言いますが根拠がないものなのにそれが正しいと思い突っ走ってしまうわけですから。

こういうタイプの人は詐欺にもあいやすいでしょうし、本当に気を付けた方がいいですね。

冷静に俯瞰して物事を判断できないというのは思考が足りていないということです。


わかった気になっている

スピリチュアルは目に見えないものです。なので自分がわかった気になってしまっているだけなんてこともあり得ます。理解した内容が正しいかどうかの確認すらできませんからね。

なんでもかんでも自分の解釈だけで成り立たせることができてしまう(本人には自覚なし)ので、そうなると間違えた理解をしたままな可能性が高いです。

つまり、壁にぶつからないのであまり思考する必要もありません。そもそも感覚の世界の話ですし。

思考しないのですから知性が低いと思われても仕方ありません。

さらに言うと、スピリチュアルな話をすると危ない人だと思われることもありますので、あまり人と話す機会がないんですよね。そうするとやはり自分の中だけで解釈するしかないので、他人と研鑽することができないんです。すなわち、得ている情報を発展させることが難しいんです。


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ここから手のひら返しします

科学とは

スピリチュアルは科学的じゃないと先ほど書きましたが、そもそも科学とはなんでしょう。定義としては「一定の目的・方法のもとに種々の事象を研究する認識活動。」となっています。

要するに、誰がいつどこでやっても同じ条件であれば同じ結果が生じるものということです。すなわち”科学で証明された”というものは全てこれに当てはまります。


では、人間はどれだけこの世界のことを理解しているでしょうか。

まずは生命の源たる海。地球の半分も占める海ですが、こちらはなんと15%程しか解っていません。

もう少し範囲を広げて宇宙。宇宙で判明している物質はなんとたったの約4~5%しかないと言われています。95~96%も謎なんです。

つまり、このたった2例でも分かる通り、科学で解っているものなんてこれっぽっち。ほんの一部でしかないんです。

たったこれしか解っていない科学なのに、証明できていないからという理由で(まだ)わからないことを全否定するのって逆に考えが足りていないですよね。


天動説(地球が中心で太陽や星がこの周りをまわっている)と地動説(太陽が中心で地球や他の星も太陽の周りをまわっている)の話はご存知でしょうか。たったの300~500年前は天動説が正しいとされていたんです。

無理もありません。私達だって何も知らずに生活していたら地球が自転していることすら信じられないですよね。長い時間をかけ証明され、それを学校で教わったから知っているだけです。

本当は正しいことを言っていたにも関わらず、この地動説を唱えたガリレオは有罪となって終身禁固の罰を言い渡されました。

科学はまだまだ解らないことだらけです。スピリチュアルと言われている範囲の物事も、後に証明される可能性は充分あるのです。

知性が低い故に信じている場合もありますが、逆に知性が高い故に科学外に手を伸ばした思考を持とうとする場合もあるわけです。


信じることの尊さ

盲信はたしかに危険です。ですが、愛する人を信じる、我が子を信じる、など「信じる」という行為自体はとても美しく尊いものです。全てに疑ってかかる生き方なんて楽しくありませんしね。

また、宗教の存在意義という観点でも信じることの大切さは見えてきます。

宗教は元々、すがる対象だったという意味合いが強いです。生きることが苦しい。救いを何かに求めないとやっていけない。自分を保てない。だからこそ信じる対象が必要だった。自分が救われるために。

今回言っているスピリチュアルも同じことが言えます。人生が辛く苦しく、何かにすがりたい。救いを求めたい。だから信じる対象が欲しい。それが宗教ならぬスピリチュアルだったというただそれだけ。そんな人だってたくさんいるんです。もがき苦しんでいる人の救いになる存在、それを信じ込むことはいけないことでしょうか。

他人を傷つけさえしなければ、自分の信じたいものを信じる。それだけでいい。そこに知性は関係ありませんね。


わかった気になれる敷居の低さ

自分の解釈で成立させられるスピリチュアルの考え方は、誰でも簡単に踏み入れることのできる世界です。学校の勉強のようにわからない人間が競争から弾かれるなんてことがないのです。自分のペースで学び、考えられる、一番素敵じゃないですか。

これを利用してあることないこと教えるような悪徳スピリチュアラーも存在しますが、悪いのはそういう連中であって、信じる側が悪いわけではありません。

また、こういうスピリチュアルという曖昧で正解が不明瞭なものの考え方というのは実は哲学とそっくりな性質があるんです。

哲学とは、人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観のことを言います。簡単に言うと「自分で謎をつくってその謎を解明しようとする考え」のことを指します。

科学が発展してきた現代でもこの哲学という曖昧な学問が消えないのはなぜかという話が度々でることがあります。それは、哲学が科学の進歩や限界を考察し、深化させる一つの枠組みとして不可欠であるからです。科学でわかる範囲には限界がありますし、もっと様々な角度から掘り下げることで新たな発展が促されるわけです。

また、お気づきの方もいるかもしれませんが、自分で謎をつくってその謎を解明するって、科学のスタート地点そのものなんですよね。哲学から全ての科学が始まると言っても過言ではありません。

スピリチュアルは哲学とそっくりであり、その哲学は科学の始祖とも言える存在です。そう考えるとこれらが対して違うものでもないということがわかってきます。そもそもこれらを別けて考える必要すらないとも言えるでしょう。

ここまで理解が進めば、もう知性云々とか言ってる場合じゃなくなってきますね。信じる理由は人それぞれです。


おわりに

以上、スピリチュアルを信じてる人は知性が低いのかどうかについて書いてきましたがあなたはどう思ったでしょう。

散々いろいろ書きましたが、私の体感的には”知性”全般というよりは”論理的思考”の能力が劣っている人が多いという印象は実際あります。それはやはり「自分の感覚のみで組み立てられるから」、そして「論理的思考力がないからこそ論理を使わずに理解できる(理解したつもりになれる)」から、この二つが大きな要因なのではないかと考えます。
もちろんとても優秀な人たちもたくさんいます。

結局どんな分野も同様にいろんな人がいますよねって感じですかね。


このスピリチュアル界隈は、嘘の情報を売って儲けている人が非常に多い分野でもありますので、被害にあう人が少しでも減ることを願います。

最近だと「量子力学でも証明された」なんて文言で教えを説く人も増えましたが、これも結構な人が嘘言ってますからね。量子力学で証明されてることなんてまだまだそれほど多くありません。
ほとんどが”説”の段階であってあくまで「こういう考え方もあるとされているよ」くらいのものなんです。

これを解りながら教えを説く嘘つきスピリチュアラーもいれば、そこも理解できていないのに説教を垂れているそれこそ知性の低いスピリチュアラーもいます。(こちらももちろん証明されたことだけに則って論理的に説明してくれる優秀なスピリチュアラーもちゃんといます。)

誰かを騙すことなんてなく、愛に溢れた日々を過ごせたら素敵ですね。

より豊かな人生にするべく、自分に合ったスピリチュアルとの接し方をしてくださいね。


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