【能登地震】大地震が起きた時に自粛すべきこと~あなたの人間性モロバレです~

2024/01/14

ウェルネスビーイング

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能登半島地震で被害に遭われた皆様へ、心よりお見舞いを申し上げるとともに、被災地の皆様の安全と、一日も早い復旧を、お祈り申し上げます。


私は宮城県仙台市出身でして東日本大震災の時も仙台市内におり、被災しました。その時から私が言い続けている「被災者じゃない人に自粛して欲しいこと」が2つありまして、今回はそれについて書かせて頂きます。

支援物資は被災者側の気持ちになろう

今回の地震では被災地への支援物資で、「いらない物リスト」なんてものがSNSで話題になりました。

※いらない物に関してNHKの記事がありましたのでよろしければどうぞ⇒「廃棄するしかない…」その支援物資 本当に役に立ちますか? | NHK | WEB特集

「いらないから辞めてほしい」というと怒る人っているんですよね。それに怒る人は自分が被災した時を考えてみてほしいものです。気持ちでお腹はふくれません。

貧しい国の子供たちを想像すると更にわかりやすいです。あの子たちに千羽鶴を送りますか?どう考えてもいりませんよね。

物資が不足している時、必要なのは気持ちよりも「食料」「水」「衣服」「生理用品」です。

SNSの重要性を考えよう

最初に最重要事項を述べます。ズバリ、投稿を少し控えてください。

「心配です」「大丈夫でしょうか」と言った文言でさえ、やり過ぎては被災者を傷つけます。(孤独ではないんだという意識に繋がるので、ある程度は効果がありますが。)

東日本大震災の時は「がんばろう」という言葉が批判を呼びました。被災者はすでに頑張っています。そこに関係ない人ががんばれがんばれ言ってくるのは非常に苦痛なんです。先ほどの千羽鶴と同じです。必要なのは気持ちじゃないんです。気持ちでなんとかなる状態は既に通り越しているんです。

自粛がもたらすもの

被災地と聞いて真っ先に思い浮かぶのが先ほど書いたいわゆる”避難所”のような場所です。ですがそこまでいかずとも、家は無事だけど「水がない」「食べるものがない」というような規模の被災者も数多く存在します。

今回のような規模の地震が起きると、当然店も営業が止まります。外部からは一見無事のように感じられても、物は手に入らなくなっているのです。

そんな災害時、何よりも”情報”が大事です。その情報には災害の様子そのものだけじゃなく、営業している店の情報も含まれます。

「食べ物や水を売ってくれる店の情報が欲しい」

「地方ではガソリンスタンドがやっていないと移動することすらできない」

「炊き出しをやっているか知りたい」

「どこの病院はやっているのだろうか。どれくらいの怪我の具合(病状)で行っていいのだろうか」

あくまで一例ですが、このような情報を得る最も便利なツールがSNSです。スマートフォンの電池残量だって気にしなくてはいけません。そんな中で情報を探しているのに、SNS上にはいらない情報が溢れている。こんなの愛がなさすぎる。

何も投稿するなという意味ではありません。被災者に有益な情報を投稿してあげて欲しいということです。店の営業情報、安否確認方法、物資の伝達情報、等々。

自粛は必要か

災害が起きたからといって自粛する必要はないという意見もあります。それはそう。当たり前です。みんながみんな自粛したら経済が止まります。そうすると結局復興も遅くなりますから。楽しめる時に楽しんで、悲しめる時に悲しみましょう。全体のバランスを見て、考えて行動しましょう。

かつ、世界中には常に苦しんでいる人はいます。災害もですし、戦争だって飢饉だってあります。ですがその人たちに常時気を配り、自粛していますか?
基本的にはそんなことないですよね。(実際はごく少数いらっしゃるのですが。)

このように人間は自分の周りの一定範囲を外れると気にせずに生活するものなのです。それで世界はまわっているのですから、それで良いんです。

自分の投稿の影響を考える

SNSにおいて、具体的にどのくらい投稿を自粛したらいいか。

それは自分をフォローしてくれている人を考えればOKです。その中に被災地域の方やその親族がいるのであれば、その人たちに不必要な情報を投稿をする頻度を下げましょう。たったそれだけでもその人に有益な情報が回る確率は上がります。必要そうな情報はどんどんまわしてあげましょう。

被災している人がフォローしてくれている人の中に一人もいない場合、こちらも気持ちだけは持っていてください。X(Twitter)等ではフォローしていなくても勝手に投稿がタイムラインに出てくる仕様がありますからね。

最初に投稿を控えてくださいと書きましたが、実際に投稿するなというわけではなく、こういう意識、延いては被災者への愛情を持って欲しいという意味です。

おわりに

あと一つ。むやみに被災地に行かないということも大切ですね。ボランティアをしたいからと言って急に人が増えても、被災側も対応ができないんです。ボランティアをしたい場合はそのような団体がありますのでそこにコンタクトをとって、手順を踏んで出向くことが必要です。

ボランティアする人だって食べ物も水も消費しますし、トイレだって使うわけですしね。

弱っている時や予想外の出来事に対して、人は本性が表れるものです。それを踏まえて、愛のある行動がしたいものですね。


以上です。この件に関しましては個人的にとても熱くなってしまうため、少々刺々しい箇所もあるかもしれません。申し訳ありません。

災害に対するこのような考えが、少しでも広まれば幸いです。

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